あの忌まわしい相模原障害者殺傷事件から1年 事件の背景と犯人の人間性

障害者はいなくてもいい。

あの忌まわしい相模原障害者殺傷事件から1年

こんな極端な恐ろしい理由で植松被告はあの事件を起こした。

障害があっても一人の人間である。何故殺されなければならないのか。

障害があっては生きていてはいけないのか?

そんな事は絶対にない!!

自分の意思表示が出来ないほどの重度の障害を持っていても、障害があろうとなかろうと無駄な命はこの世に一つたりともない。とにかく生きるという事が大事なのだ。生きるという事に価値があるのだ。

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あの忌まわしい相模原障害者殺傷事件から1年 事件の背景と犯人の人間性

植松被告は犯行現場となった「ヤマユリ園」の職員として勤務していた時、保護者の疲れ切った表情。これを見て「障害者はいない方がいい」と思うようになったという。

植松容疑者に対して検察や警察は、「容疑者は精神障害の疑いがあり、刑事責任能力があるかどうか精神鑑定を行う」としている。

容疑者は「境界性パーソナリティー障害」、あるいは「自己性愛パーソナリティー障害」の疑いがある。また植松被告は統合失調症や双極性障害、うつ病など様々な精神疾患が要因となって引き起こされる誇大妄想に取りつかれたのだと思う。

自己性愛パーソナリティー障害について(参考サイト)

自己愛性パーソナリティ障害とは?特徴やタイプ、境界性パーソナリティ障害との違いって?

誇大妄想について(参考サイト)

誇大妄想とはどのような妄想なのか。治療法・対処法は?

しかし、いくら植松被告が精神を病み、その結果起こした犯罪であるからと言って、「刑事責任能力」がないといって罪に問われないことはあってはならない。相当な計画と殺意をもって犯罪に臨んで、社会に与えた衝撃は凄まじい。極刑をもって臨むべきである。

植松容疑者を生み出した社会的要因とは?

何が彼をそこまであのような恐ろしい大量殺人に駆り立てたのだろうか?

障害者を排除するという社会的風潮がこの日本にあるのではないか?

優性思想とヘイトクライム

「彼らが不幸の元という確信を得ることが出来た」

「意思疎通の出来ない障害者は生きていても仕方がない」

植松被告は犯行現場となった「ヤマユリ園」の職員として勤務していた時、保護者の疲れ切った表情。これを見て「障害者はいない方がいい」と思うようになったという。

どうしてこんな恐ろしい考え方が出来るのだろうか?

これは、ヘイトクライムや優性思想が根底にあると思う。

優性思想

残念ながら、日本では「命があるだけで価値がある」という考えではなく、精神的にも肉体的にもすべて五体満足でなければ人間としての価値を認めないという考え方がある。

その証拠に日本ではかつて優生保護法という法律があった。

第二章 優生手術

第三条【 医師の認定による優生手術 】
第一項
医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。
第一号 本人若しくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患若しくは遺伝性奇形を有し、又は配偶者が精神病若しくは精神薄弱を有しているもの
第二号 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、
      遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性畸形を有しているもの
第三号 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの
第四号 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの
第五号 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞れのあるもの

現在では、この法律は障害者団体などからの反発を受け「母体保護法」と名称を変え、優性上の見地から不良な子孫の出生を防ぐとされる条文は削除されている。しかし、1948年の優性保護法の成立から平成8年に至るまで長らくこの法律が存在してきたことに、日本における優性思想の存在を見いだせる事が出来る。

また、妊娠の段階で退治の先天性の障害を予見できる出生前診断も個人的には論理的に問題があると思う。出生前診断によって何らかの障害があると診断されれば、条件が厳しいが人口中絶を受けることが出来るとされる。これは命の選別、優性思想をさらに拡大させているのではないかと思う。

ヘイトクライム

ヘイトクライムとは差別に基づく犯罪。人種や宗教、性別、障害、性的嗜好、高齢者など比較的少数である(マイノリティ)特定の属性を持った集団や個人に対して偏見や憎悪が元で暴力や暴行、殺人などの犯罪行為である。テロなどもヘイトクラムに含まれる。

相模原障害者殺傷事件補では、植松被告が障害者に対しての偏見がエスカレート。心の中にある偏見が差別になり、これらを排除する事が自らの使命を考え、行動に移す。

ヘイトクラムの一番厄介な点は、自らの犯罪行為を正当化してしまう事である。その証拠に、現在、勾留されている植松被告からは、事件の被害者や遺族に対する謝罪の言葉は一切ない。

信じられない事だが容疑者のような思想は少なくとも多少なりとも誰の心の中にある。

しかし、大抵の人は自ら理性により行動に実際に移すことを抑える。植松被告はこの理性による行動へのブレーキが残念ながら働かず、戦後最悪と言われる事件を起こした。

つまり、私の私見であるが、「障害者を排除する」という悪しき社会的風潮が増しているところに、植松被告自身の精神的疾患が複合して。戦後最悪と言われる未曾有の大量殺害が起き於てしまったのではないだろうか?

植松容疑者が起こした事件が社会に与える影響

これを称賛する声がネットなどに書き込まれる。植松被告がやったとんでもない行為を称賛しているのだ。

信じられない事であるが、これが現実である。

「障害者の排除の正当性」たった一人のとんでもない行動が、社会全体を破壊してしまう。

この事件が障害者とか、高齢者とか、とにかく社会的に弱い人に対しての差別を助長する。どんでもない事である。

まとめ 私自身が障害者として思う事

私自信も発達障害という障害を抱える障害者である。結婚相手やその家族に受け入れないこともあったり、職場でミスが重なったりしてすぐに解雇されるという憂き目に何度もあってきた。「自分は社会から受け入れられない」と感じながら生きてきた。

辛かった。何度か死のうと思った。うつ病とはいかないまでも、軽い不安障害に陥ったこともある。

しかし、希望だけは捨てなかった。こんな自分でも、なんとか人並みに生きたいという欲望だけは強かった。

それで、就労移行支援事業所で職業訓練に行き、何とか就職出来て、安い給料ながら働いている。少しは頼りにされてきて今は非常に充実している。

自分なんかは障害の程度は軽いが、重い障害を持っている方の生きづらさは想像に絶する。しかし、希望をもって生きる事だけはやめないでほしい。生きていれば何とかなる

それを他人が口を出すことではない。

「障害者は死ねばいいのに」

これほど障害を抱える人を傷つける言葉はない。障害を抱える方は誰一人とも自ら好き好んで障害者になったわけではない。

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