落語を聞くと想像力を養える ワーキングメモリも鍛えられる?

笑いが一番 落語を聞くと想像力を養える ワーキングメモリも鍛えられる?

目次

笑いが一番 笑うとつらい事も忘れる

こんにちは ADHDのダイスケです。

落語を聞くと想像力を養える ワーキングメモリも鍛えられる?

やっぱり人生は笑って過ごすのが一番である。笑いっていうのは人生にとって大切な事だと思う。

私は、発達障害を抱えて生きているので、生きていくといろいろとつらい事が多い。

発達障害を抱えて生きているとなにがつらいのかっていうのはこのブログでいろいろ書いているのであえて詳しく書かないが、いつも笑う事にしている。どんなにつらい事があっても笑えばつらい事を忘れられる。

笑う事によってストレスが解消されるように感じられる。だからいつも意識して笑っていられるようにしている。

笑うためにはどうしたらよいか?

本当は気の置けない友達なんかがいて、友達どうしで集まって楽しく話ができればいいんだけど。発達障害のせいなのかどうか分からないが友達ができない。

だから、最近、私は、寒いというのもあるが、仕事が休みの日はもっぱら、お笑いの動画などをユーチューブで見るようにしている。どんなに辛い事があっても笑えば忘れられる

お笑いの種類は、コント、漫才などが多いが、最近ははまっているのは落語である。

笑いの効能 心と体を元気にする笑いの効果

笑う事のメリットを簡単にまとめてみた。

  1. 笑う事によって脳の前頭葉を刺激して脳をリセットしストレスを減少させる
  2. 脳の前頭葉は物事を考えたり、計画を立てたり、意欲を持ったりするといった人間らしい高次元の精神活動を司る。笑う事によってこの前頭葉の活動を活発にして、ストレスを生じる思考をシャットダウンしてくれる。その結果、ストレスが無くなったり、減ったように感じられる。

    また、笑う事でセロトニンドーパミンの分泌を促進させる。これらの脳内物質は心の安静や幸福感や達成感を得るのに欠かせない。

    うつ病の人はセロトニンやドーパミンなどの脳内物質が不足していると言われている。

    うつ病の人にはなかなか難しいかもしれないが、出来るだけ笑うようにしたら、うつ病の症状が軽減できるかもしれない。

  3. 笑いは心肺機能を高める
  4. 笑う時は全身の筋肉を使う。特に使うのは横隔膜である。

  5. 笑いは免疫機能を高める
  6. 笑うと脳内から「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンというホルモンが分泌されるそうである。

    また、笑う事によって、エンドルフィンという脳内物質が分泌されて全身の免疫細胞を増加させるそうである。その結果、体の免疫機能を高める事が出来るそうである。

  7. 笑いは記憶力や判断力を高める
  8. 笑うと脳に劇的な変化を与える。笑う事によって記憶力や判断力が高まるというのだ。

    笑う事によって脳へ刺激が加えられ、脳内の血管への血液の流入量が増える。その結果、海馬や側頭葉といった記憶や判断力を司る脳内の器官の活動が活発化するのである。

参考サイト

作り笑いでもOK!笑いの力で免疫力アップ
笑うことで健康に! 「笑い」が生み出す健康効果

落語を聞くと想像力を養える ワーキングメモリも鍛えられる?

落語を聞くと想像力を養える ワーキングメモリも鍛えられる?

私の趣味や関心を押し付けるわけではないが、お笑いの中でも私がお勧めするのは落語である。なにがいいのかっていうと、それは聞く者の想像力を鍛える事が出来るからである。

落語っていうと、なんだか「年寄りの趣味」「古臭い」「話が長くて退屈」だと思っていないだろうか?また短い小話というのがある。いわゆるダジャレだが、これが落語だと思っていないだろうか?

日曜日の夕方に日本テレビで「笑点」という番組が放送されていて、皆さんがよく知っている落語家さんたちが出演している。その中に「大喜利」というコーナーがある。

大喜利というのは、出題者が問題を出して、回答者が即興でとんちやひねりを利かして面白く答えるというのだが、日本人なら誰でも一度は見たことがあるだろう。

もちろん、大喜利が落語ではない。


落語とは?先入観をなくしてまずは落語を聞いてみよう

落語とは、江戸時代に成立した日本の伝統話芸である。噺の最後に「オチ」がつくのが特徴である。滑稽で笑える「滑稽噺」が中心であるが、笑うのではなくじっくりと聞かせる「人情噺」「怪談噺」等もある。

江戸時代に江戸で発展し、現在、東京を中心に演じられている江戸落語と、同じく上方(京都・大阪)で発展し、現在、大阪を中心に演じられている上方落語がある。

落語を聞くには、寄席に行くのが一番いい。

今年の正月に生まれて初めて寄席に行ってみたが、とにかく面白くて1日楽しめた。落語の世界、いや江戸時代の世界へタイムスリップしたようだった。

やはり、生で聞くと迫力が違う。演者である落語家の息遣い、観客の拍手、歓声がすぐに何とも言えない心地よさである。

機会があれば、寄席に行ってみる事をお勧めしたい。

落語を聞くと想像力を養える ワーキングメモリも鍛えられる?

落語を聞くと想像力が鍛えられる?

落語とは、とにかく無駄な物をそぎ落とした話芸である。

コントや舞台などの他の演芸とは違い、演者である落語家の身振り手振りだけで噺を進めていく。あるのはせいぜい、扇子と手ぬぐいぐらい。極力、映像や舞台装置を使わず、落語家の技巧と聞き手の想像力でどんどん噺の世界が広がっていく。

落語家が「~ってえと」なんて言うとなんとなく江戸時代にタイムスリップしたように感じる。落語家が扇子を箸に見立ててそばをすする仕草をしたら、聞き手は実際に演者がそばを食べているわけではないのに、本当にそばを食べているような感覚になってくる。

落語家はあくまで、聞き手の想像力というスクリーンに噺という情報を必要最低限に映し出しているのに過ぎないのである。聞き手は自分の想像したものに笑ったり、共感したりするのである。

落語を聞くことはワーキングメモリの訓練になるかもしれない?

発達障害のある人はワーキングメモリがうまく働かないと言われている。

ワーキングメモリーとは何か一つの課題を行っている時に、情報を一時的に記憶しておくことである。

落語は一人の演者が様々な登場人物を演じ分ける。そこにいろいろな展開があるわけだが、ワーキングメモリが弱いと途中で噺の展開や内容を忘れてしまったり。よくわからなくなることがある。

落語は楽しいものである。噺の流れを理解するには、噺を集中して聴くようことである。落語を楽しむには、自然に噺の内容を集中して聴くようになる。そうすれば自然に内容が頭に入ってくる。

集中して聴くことがワーキングメモリがうまく働かない事への訓練になるというのが、私の持論である。

これは何も落語を聴くためだけではない。
ビジネスでも、私生活、特に夫婦、家族、恋人同士、友達同士においての人間関係を円滑にする上でも応用できるのではないかと思うのである。

落語を聞くことは「視覚優位」な発達障害のある人の弱点を軽減するいい訓練になるかも知れない

落語を聞くと、視覚優位で、耳に入ってくる聴覚による音の情報を処理するのが苦手な発達障害のある人が聴覚情報処理能力を鍛えるのに最適な訓練になると思う。

発達障害を抱えている人の中には、視覚優位、あるいは聴覚優位という特徴を持った人がいる。

視覚優位とは、目から入ってくる映像などの情報を処理する能力に長けていて、聴覚優位とはその逆で、耳から入ってくる情報を処理する能力に長けている。

この二つの処理能力の発達がアンバランスゆえに発達障害なのである、

私はどちらかというと、視覚優位である。

たとえば、仕事どで誰かが私に口頭で仕事の指示や注意をしているとする。具体的にわかりやすく言って頂ければ私はすぐに理解するのであるが、指示をしたり注意をしたりする方は、よほど私の特性を理解している人でないと、私の特性に配慮なんかしない。自分のペースであ~だこ~だ言ってくる。

そうなってくるとその指示や注意の要点を頭の中でなかなか理解したりまとめたりする事ができず、混乱してくるのである。

だから、私は、常にメモ帳とペンを携帯し何か注意をされたり、仕事の指示を受けたりするときは要点をメモ帳に書くようにしている。そして後になって別のノートに図や表などを自分で書いたり、要点やポイントを箇条書きなどで一目で見てもわかるようにしている。

耳だけで聴いただけでは理解できない口頭での指示を分かりやすく視覚化する事によって理解を早めようとしているのだ。

理解するにはそこまでの手間をかけないといけないのである。

落語は楽しいので一回聞き始めると集中して聴くようになる。そうなると落語の世界の情景を掴もうとするイメージ力も自然についてくる。

楽しみながら落語を聴くという習慣を身に着けると自然に「リスニング力」っていうのか、聞いただけで噺の展開や内容を理解しようとする力が自然に身についてくると思う。

落語に出てくる登場人物はいい加減な奴が多い それを聴いていると今の現実社会でこざかしい人間関係に悩んでいるのが馬鹿らしくなる

落語に出てくる登場人物は実にいい加減な物が多い。

酒好きでどうしよう奴がいたり、道楽者で、持っている金を一晩で使い切ったりする金にだらしがない奴がいたりする。あとは、「与太郎」と言って、馬鹿で教養がなく、間抜けでそそっかしくいつもへまばっかりする。今で言ったら、おそらく発達障害のADHDではないだろうか。

しかし、落語の世界では、そんなどうしようもな奴でも否定せず、生き生きと描いている。これを有名な落語家の立川談志は「業の肯定」と言っている。

落語の登場人物たちは、そんなどうしようもない人間に対して、決してぞんざいに扱わず、むしろ敬意すら持つこともある。また、適当にあしらっていたりする。これを聴いていると、現在のリアルな人間関係で、他の人からちょっと嫌な事を言われて嫌な思いをするのが馬鹿らしくなってくる。昔は実におおらかだった。

私が聴いてほしい落語

一つ、分かりやすい落語を紹介したい。

演者は三遊亭歌之助師匠。鹿児島県出身の落語家で、故郷鹿児島では鹿児島弁での落語も披露する。

勘定板

あらすじ

ところ変われば言葉も変わる。ある村ではトイレの事を「勘定場」といい、用を足すことを「勘定をする」という。その村は浜辺にあって、トイレは共同。棒に紐が括りつけてあり、その紐の先には大きな板があり、村の人は用を足す時はその大きな板にまたがって用を足す。その板の事を「勘定板」という。

ある時、その村の人達が、東京見物に訪れ、旅館に泊まった。

東京の旅館で村の人たちは「勘定をしたい」と言い出した。

東京の旅館の人たちにとってはもちろん「勘定する」っていう事は「清算をする」という事。

言葉の勘違いから生まれる騒動である。これを聴いて現場の混乱ぶりを想像するのが面白い。

もう一つ、是非とも聴いて頂きたい落語がある。

演者は古今亭志ん朝師匠。故人だが江戸前落語の名手で、この師匠の高座を聴くと、話し方、身振り、手振りから全てにおいて江戸時代の空間にタイムスリップしたような感じである。

酢豆腐

あらすじ

ある夏の暑い日の昼下がり。若い衆が集まって暑気払いと称してみんなで酒を飲もうとたくらむ。しかし、江戸っ子は宵越しの金を持たないのが信条らしく、みんな金がない。なんとか酒は都合がついたが酒の肴を買う金ががない。

なんかいい酒の肴はないかみんなで考えるが、だれもいい考えが浮かばない。(刺身や楊枝なんかどうだいって提案する者がいるが却下される。

そんななか、ある者が、「どこの家だって、糠みそ桶があるだろう。糠床の底に古漬けがあるだろう。そいつを刻んで、かくやの香こ(糠漬けの古漬けを刻んで水に漬け塩抜きをした上、ミョウガや生姜を薬味として添えた料理)なんざあどうだい」と妙案を出す。

しかし、皆その意見に賛同するが、だれも糠味噌の中に手を突っ込んで古漬けを出そうとする者はいない。

古漬けは諦めて、昨夜、みんなで豆腐を食ったのを思い出して、豆腐が一丁残っているはずだと思い出すが、肝心の豆腐は与太郎がかばんの中にしまい込んで腐らせていた。

この時、大きな店の若旦那が通りかかる。この若旦那、気障で通人気どりで知ったかぶり。町中のみんなから嫌われている。

しゃくだからってんでこの若旦那に先ほどの腐った豆腐をなんとか食わそうと考える。

江戸っ子気質の若い衆と、知ったかぶりで気障な若旦那の対比が面白い。

まとめ

想像力を鍛えるのには別に落語でなくてもよいと思う。本を読むのでも良いし、本の朗読を聴くのもいいと思う。しかし、落語には「笑い」という要素を含んでいるため、楽しみながら気軽に想像力を鍛える事が出来ると思う。

想像力は大事である。

想像力が働かないと、会話するにも不自由となる。会話する際は、会話の相手に自分がこんな事をいうと相手がどんな反応を示すのかを瞬時に判断して発言したりするのだが、想像力が働かないと、相手がどんな反応するかという想像がつかないので、平気に相手が傷つく発言をしたりする。

いわゆる「空気を読めない」という事である。「空気を読めない」っていう人は発達障害のある人に多いと思う。

こじつけかも知れないが、想像力を鍛えるのは大事だと思う。

次ページ 全国の寄席一覧

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする