ADHDでどうしようもない人生を送ってきたブログの作者のプロフィール

ADHDでどうしようもない人生を送ってきたこのブログの作者のプロフィール

ADHDでどうしようもない人生を送ってきたブログの作者のプロフィール

このブログを書いている作者のプロフィールです。私は発達障害のADHDで、今まで本当にどうしようもない人生を歩んできました。よく今までよく生きてこられたなと思います。自分の一人の力ではたぶん今頃とっくに死んでいるでしょう。
無力の人間が今まで健康に生きてこられたのは、親をはじめとする周りの人たちのサポートがあったからだと思います。

ADHDでどうしようもない人生を送ってきたブログの作者のプロフィール

今までに歩んできた本当にどうしようもない人生を公開します。

  • 「欲望の暴走」
  • 「無意識の不注意」
  • 自分が今何をやっているのか分からなくなる
  • 「衝動的」
  • 「無計画」

幼少期

泣き虫。母親が近くにいないと大声で泣く。

家に閉じこもって、電車の絵ばかり書いていた。

友達はいなかった。

小学生、中学生時代

小学生の時は、良く鼻水を垂らして6年間ずっといじめられていた。中学生時代は勉強を良くして成績は良かった。

高校、大学時代

ごく普通に過ごしていた。自分が発達障害者などという自覚は全くなかった。

おかしくなってきたのは社会人になってから。

最初の就職先は証券会社。新規開拓で飛び込み。金持ちそうな高級住宅に株式や貯蓄を売り込む。最初は意気込んでやるが、だんだんしんどくなってくる。そのうち仕事をさぼる様になる。ノルマの厳しさから仕事を回避し、パチンコ・風俗にはまり、借金を重ねる。それが会社にばれ居づらくなって、衝動的に退社。

つぎは建築資材の営業。仕事は順調で、結構信頼得るが、営業車の後部ガラスを何かにぶつけ全部割り、居づらくなって、衝動的に退社。

次はスーパーマーケット販売員。遅刻常習。手先が不器用で商品陳列中に棚がフックから外れ商品もろとも全部破損させた事が何回も。無意識の不注意。問題社員とし有名だった。正式配属から本社人事付研修社員に。会社に行くのが嫌になり衝動的に退社。

次はまた建築資材の営業。最初は順調だったが、営業車で事故を重ねる。そのため、営業車使用禁止命令が下り急激にモチベーションが下がる。仕事するのが嫌になり、パチンコにはまり借金を重ねる。フラストレーションたまり、仕事に身が入らなくなり営業成績が全く上がらなくなる。当然解雇。

次は数字を考えなくてもいい現場の仕事をしたいと思い紙類の倉庫の フォークリフトオペレーターに。7年間くらいは順調だったが、あるときから急にミスを重ねる様になり、見かねた社長からめでたく解雇される。

その後は同様の現場系の会社に入るが、能力不足で試用期間後の本採用に至らず解雇。

現在は就労移行支援施設で職業訓練を受けている

衝動的、不注意、欲望

まさしくADHDです。

スーパーマーケットやめる時に結婚していますが、これも話したい事がいろいろあります。

私が発達障害を疑い診断されるきっかけとなるどうしようもない退職理由

このブログを読んで頂いている方が参考になるかわかりませんが、私がなぜ転退職を繰り返したか?その原因となる退職理由について書いてみたいと思います。

この退職理由を見てみると私が発達障害であるとお分かりいただけるかと思います。

証券会社営業マン時代

大学を卒業してから初めて就職した会社は証券会社でした。

私はどういうわけか算数や数学が全くダメで全然興味が湧かず勉強しませんでした。その時から社会科が好きで、政治や経済に興味を持っていました。

(学生時代にある特定の科目だけに興味を示し一生懸命勉強するが全く興味のない科目は全く勉強せず成績がひどいといというのは発達障害のある人には良く見られるそうです)

大学で経済学を専攻し、大学を卒業したら経済の事に深くかかわることが出来る証券マンに憧れ絶対になりたいと思っていました。

就職活動し、あこがれだった証券マンになったのはいいですが、顧客が全くいない新人の証券マンの仕事はきつく、まず高級住宅地に行って「○○証券の○○と申します。この度この地区の担当になりました。お宅の資産形成のお手伝いをさせて頂きます」などと一軒一軒ずつ突撃訪問していくわけです。もちろんアポはありません。

またその地域の名簿がありまして、電話をしまくります。

そんな怪しい人間が家に来られたり電話されたりしたらたいがい断りますよね。「結構です」「うちでは間に合っています」

最初の頃は勢いで順調に顧客が出来ていたのですがだんだんとで顧客がなかなか作れなくなり本当に精神的に辛かったです。

あるとき先輩社員から「証券会社の新人時代は辛いからまともに仕事をしていると精神的に病んでしまう。だから適当にサボっておおいに遊べ」と言われました。

私はこの言葉をまともに受け取り、ある時期から本当に仕事をせずサボるようになり、遊びの方も派手になりパチンコや風俗にはまるようになり50万円ほどの借金を作ってしまい、それが会社にばれ居づらくなって自分から辞めました。在籍期間1年半で、顧客数は20名程。預かり資産は3600万円ほどでした。

建築資材のルート営業マン時代①

建築資材のルート営業マン時代①

建築資材のルート営業マン時代②

紙類の倉庫の資材管理・フォークリフトオペレーター時代

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